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8:  信徒によるバプテスマの神学的正当性

1. イエスの大宣教命令は、按手礼を受けた牧師のみに洗礼を委ねたものではありません

「それゆえ、あなたがたは行って、あらゆる国の人々を弟子としなさい。そして父と子と聖霊の名によって彼らにバプテスマを授けなさい…」(マタイ28:19)

この命令は、特別な聖職者の階級に向けられたものではなく、すべての弟子たちに与えられました。
聖書のどこにも、洗礼を授けるための按手礼(ordination)を必須とする記述はありません。
初代教会は宣教的な共同体であり、バプテスマは日常的な弟子訓練の一部でした。

 

2. 使徒の働きに見られる「聖職者でない者」の洗礼実例

  • フィリポは荒野でエチオピアの宦官にバプテスマを授けました(使徒8:36–38)
    彼は12使徒のひとりでも、正式な聖職者でもありませんでした。

  • アナニヤは、ダマスコでパウロにバプテスマを授けました(使徒9:17–18)
    彼もまた、使徒や長老ではなく、単なる信徒でした。

これらの例は、聖霊に導かれた信仰深い信徒たちが、必要なときに正式な教会集会の外でも洗礼を行ったことを示しています。
 

3. 「すべての信徒は祭司」という教え

「あなたがたは、選ばれた種族、王である祭司、聖なる国民…」(Ⅰペテロ2:9)

新約聖書は、すべての信徒が霊的責任を共有するという画期的な転換を示します。
牧師や長老は特定の役割を担っていますが、バプテスマは「弟子を作る」ためにすべての信者に委ねられた行為の一部です。

 

初代教会と歴史的実践

迫害の時代や、按手礼を受けた指導者が不在の場面では、初代のクリスチャンたちはしばしば互いに洗礼を授け合っていました。
1世紀のキリスト教文書『ディダケー(Didache)』では、信仰の誠実さと状況に応じて、洗礼の方法や執行者に柔軟性を持たせることが勧められています。
宗教改革時代の伝統(特にアナバプテストやバプテスト)においても、牧師がいない家庭や場所での信徒による洗礼が広く行われていました。

 

ハウスチャーチにおける実践上のガイドライン

信仰の誤解や教義の混乱を防ぐため、次の点を推奨します:

  • ローマ10:9–10に基づく信仰告白があること

  • 洗礼を執行する者が、聖書的な洗礼の意味を理解している成熟した信者であること

  • 父・子・聖霊の御名によって洗礼を行うこと(マタイ28:19)

  • 書面または動画で記録を残す(証しと教会史のため)

  • 人の権威でなく、キリストが救い、受け入れてくださることを強調すること
     

サイト掲載用の力強い表現

「イエスの教えと初代教会の実践に則り、私たちは、洗礼が按手礼を受けた牧師のみに制限されたものではないと信じます。
聖書全体を通して、アナニヤやフィリポのような信仰に生きる人々が、聖霊に導かれながら洗礼を授けてきたことが分かります。
重要なのは肩書ではなく、キリストに従う心と、洗礼を受ける人の明確な信仰告白です。
ハウスチャーチにおいて、霊的に成熟した家族や信徒による洗礼は、神の前において完全に正当であり、聖書に則ったものです。」

 

信徒による洗礼は聖書に認められていますか?

「はい、イエス様は家庭の中でも出会ってくださいます。」

洗礼は、宗教的肩書きや儀式的な装束ではなく、イエス・キリストへの信仰、誠実な心、そして聖霊の臨在によって意味を持ちます。
聖書には、牧師ではなく、神に従う「普通の信者」が洗礼を授ける場面が何度も描かれています。

たとえば:

  • 使徒でないフィリポは、砂漠でエチオピアの高官に洗礼を授けました(使徒8章)

  • 単なる信徒アナニヤが、後に使徒となるパウロに洗礼を授けました(使徒9章)

聖書のどこにも「洗礼は按手礼を受けた牧師のみが行える」とは書かれていません。
むしろ、こう命じられています:

「それゆえ、行って、あらゆる国の人々を弟子とし、バプテスマを授けなさい…」(マタイ28:19)

初代教会では、多くの集会が家庭や隠れた場所で行われていました。
そこでは、牧師がいないとき、成熟した信徒や親が川や家、牢獄の中で洗礼を授けていたのです。
重要なのは「形式」ではなく「信仰」でした

 

現代のハウスチャーチでも

  • あなたがイエスを信じているなら、他の人をキリストへ導く使命があります

  • 誰かが信仰を告白したなら、あなたは彼らに「父と子と聖霊の御名によって」洗礼を授けることができます

  • 神の霊があなた達のたちの内に住んでいる、つまり、あなた自身が教会なのです(Ⅰコリント3:16)

  • あなたがたは、選ばれた民、王の系統を引く祭司(Ⅰペテロ2:9)。


神が与えた場所で、新しいいのちを大胆に迎え入れましょう。
主は水の中であなたと出会ってくださいます。
主はその場を御霊で満たしてくださいます。
そしてたとえ世界が見逃したとしても、主はあなたの従順を覚えていてくださいます。

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