境界線を見極める力 ― 善意を疑う勇気
- CHCMW Blog Edition Staff

- 1月23日
- 読了時間: 2分
愛をもって人に関わるための、二つの霊的知恵
私たちはクリスチャンとして、「愛をもって人に関わる」ことを大切にしています。励まし、助け、導き、支えることは、信仰の自然な実りです。
しかし最近、私は二つの言葉を深く教えられました。
「境界線を見極める力」そして
「自分の善意を疑える人だけが持てる視点」
この二つは、別々の教えではありません。むしろ、互いに支え合い、結びつくことで、初めて人を生かす力を持つ知恵だと感じています。
善意は、時に境界線を越えてしまう
聖書はこう語ります。
「心は何よりも偽るもので、治しがたい。」 (エレミヤ書 17章9節)
これは「人は悪い」という意味ではありません。むしろ、自分の心でさえ、自分には見えにくいという現実を教えています。
私たちは「良かれと思って」誰かに助言し、道を示し、背中を押します。しかしその善意が、相手の人生の“領域”を越えてしまうことがある。
だからこそ必要なのが、「ここまでは関わるが、ここから先は相手の歩み」という境界線を見極める力です。
善意を疑うことは、愛を失うことではない
ここで誤解してはいけないのは、「善意を疑う」とは、愛を疑うことではないという点です。
使徒パウロはこう勧めています。
「すべてを吟味して、良いものを堅く守りなさい。」 (テサロニケ人への第一の手紙 5章21節)
吟味すべき対象には、自分の考え、自分の助言、自分の善意も含まれます。
自分の善意を一度問い直すことは、自分を責めるためではなく、相手を守るための慎みです。
イエスのまなざしに学ぶ
イエスは多くの人を深く愛されました。しかし同時に、こうもあります。
「イエスは、人の心の中にあるものを知っておられた。」 (ヨハネの福音書 2章25節)
イエスは、無理に人を変えようとはされませんでした。急がせることも、押し込むこともありませんでした。
人の内側にある“神の働く領域”を尊重されたのです。
二つの教えが生み出す、大きな作用
境界線を見極める力
自分の善意を疑える視点
この二つが結びつくとき、私たちは人を「導く人」から「共に歩む人」へと変えられます。
それは、支配ではなく尊重へ、操作ではなく信頼へ、結果ではなくプロセスへと私たちを導きます。
もし私たちが、「助けたい」という思いの前に、ほんの一瞬立ち止まり、「これは、私の境界線だろうか?」「私の善意は、相手を自由にしているだろうか?」と問いかけることができるなら、その関わりは、より深く、より安全で、より福音的なものになると信じます。